吉田泰昭理事長 |
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1945年生まれ、岡山県備前市出身
昭和45年神戸大学医学部卒業。神戸大学医学部第二内科に入局。
その後同第二内科で臨床、研究に従事。研究テーマは糖尿病、甲状腺。日本で最初の人工膵臓治療にも関わった。
昭和55年から神戸大学第二内科教官となり、以降退職までのほとんどを先代の馬場茂明教授、そして現春日雅人教授の医局長として第二内科の運営に深く関わった。これらの時期に現森田病院長との親交を深め、お互いに今日の姿を約束した。
平成3年前身の三木自由が丘病院院長に就任、そして平成8年に三木山陽病院を開設するに至った。その後は多くの苦労を克服して病院運営を軌道に載せ、平成11年には現森田病院長が副院長として合流。平成16年には新病棟を建築し更なる病院の発展を目指している。平成18年4月からは病院長を森田副院長に委ね、自身は理事長としてさらに広範囲に活躍中である。
持ち前の明るさ、前向きさ、そして懐の深さはまさにリーダーとして必要な資質をすべて兼ね備え、職員からは全幅の信頼を得ている。
| 専門 |
糖尿病、甲状腺疾患 |
| 趣味 |
スポーツ(ゴルフ、水泳、野球など何でも)、旅行 |
| 認定医 |
日本内科学会認定内科医 日本糖尿病学会専門医 |
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森田須美春病院長 |
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1953年生まれ、大阪府豊能郡能勢町出身。
昭和52年神戸大学医学部卒業。神戸大学医学部第二内科に入局。
神戸大学医学部附属病院、高砂市民病院で研修し、その後同第二内科で臨床、研究に従事。
研究は糖尿病、特にインスリン作用に関する研究、日本で最初の人工膵臓治療にも関わった。
さらに光寿会江尻病院、国立加古川病院で幅広い臨床経験を重ね、平成2年から神戸大学第二内科助手、講師、平成9年からは助教授を歴任している。この間当初から5年以上にわたって激務といわれる病棟医長を担当し、昼夜を問わず研修医の指導に深く関わった。毎年約40名の研修医を対象に、幅広い知識と技術をもち論理的かつ実践的な指導を行った。しかも患者さん中心の医療を強く訴え、自分の都合の入る余地はない厳しい面も有していた。現スタッフの岡田副院長はその1期生の愛弟子、黒田医長は3期生、そして藤井医長は最後の直系弟子である。
さらにその後の3年は医局長として教室のまとめ役として、また関連研修病院における研修体制の改善について尽力した。
平成11年大学病院退職後は公私共に親密な交流を続けてきた吉田泰昭理事長と"いつか一緒に仕事をしよう"という約束を果たすため現在の三木山陽病院副院長としてやってきた。赴任後は自ら一医師として精力的に診療を行い病院職員のみならず地域住民の信頼を得、ここまでの病院発展の立役者となった。2006年4月からは病院長に就任したが従来と同様の仕事スタイルで診療を続けている。
| 専門 |
できるだけ内科全般を診たい 得意は糖尿病をはじめとする生活習慣病、消化器、腎疾患、血液透析、老年病 |
| 趣味 |
他人からは"仕事が趣味"といわれる。
自分では
@"読書"といいたいので毎日本を開くが1ページ読むまでに眠る。
A"ゴルフ"といいたいがスコアを聞かれるとまずいのでいえない。 |
| 評議員 |
日本病態栄養学会、日本内科学会近畿支部 |
| 認定医 |
日本内科学会認定内科医、総合内科専門医 日本糖尿病学会専門医、教育指導医 日本消化器病学会専門医
日本消化器内視鏡学会専門医 NSTコーディネーター 日医認定産業医 |
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西林保朗副院長 |
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1948年大久保(現 明石市)生まれ、神戸育ち
六甲中学、六甲高等学校卒業
昭和48年神戸大学医学部卒業後整形外科に入局、大学院を出て北兵庫整形外科センター(現 和田山病院)、滋賀医科大学、国立神戸病院(現 国立病院機構 神戸医療センター)、国立加古川病院(現 甲南病院加古川病院)を経て現在に至る。
わが国の代表的な整形外科の流れの一つである神中整形外科直系の故・柏木大治教授が主宰されていた神戸大学整形外科に入門し、退官後に三木山陽病院の前身 三木自由が丘病院の顧問に就かれた故・広畑和志教授にリウマチ学の手ほどきをしていただいた後に、わが国のリウマチ学の大家である七川歡次教授が初代教授をされていた滋賀医科大学にスカウトされて助手に着任した。大学卒業後6年目であったが、教授に手術指導をしているらしいなと噂が立つほど手術に興味を持つと共に、四半世紀前の当時は斬新な考え方で受け入れられがたかった椎間板ヘルニアの炎症要素の所見を電子顕微鏡で追求すべく夜なべをする日々を過ごしていた。椎間板ヘルニアの炎症要素は現在やっと日の目を見、近々、セミナーで講演の予定であり、1人悦に入っている。
昭和56年に結核の国立療養所神戸病院が時代の要請を受けて名谷ニュータウンで急性期疾患を対象とする総合病院としてスタートするに当たり、開設メンバーの1人としてスカウトされて着任した。関節疾患やリウマチを担当したが、脊椎外科で全国的に有名な病院であったので、脊椎疾患の手術を多く手がけた。現在では非常に小さな切開で、顕微鏡を使って椎間板ヘルニアなどの手術をするのが常識になっているが、20年以上前に小切開手術や拡大鏡を使った手術を実践しており、脊椎外科のスペシャリストとして世に打って出ようとしていた。そのような時に、リウマチの治療では全国的に有名であったが、存続の危機に立たされていた国立加古川病院への配置転換の話が持ち上がった。1年先輩で6年間寝食を共にした神戸大学医学部第2内科出身の医師より、加古川には森田というきわめて優秀な後輩がいるからと勇気付けられて、脊椎外科医の夢を捨てて転勤する決心をした。
日夜ベッドサイドからはなれずに的確な動きで患者さん中心の医療をする森田先生の絶大な協力を得ながら、重度障害リウマチ患者さんに囲まれて、多くの研修医と共に過ごす充実した日々を送っていたが、大学病院に必要な人材で、余人をもって代えがたいとのことで森田先生は引き抜かれてしまった。その後数年間はもがいていたが、力尽きつつある自分に気づき、夜遅く仕事帰りに何度となく大学病院の病棟に森田先生をたずねて(いつも病棟にいたので、アポなして捕まえることは簡単であった)奪還を試みたが、ある夜に「やっぱり吉田先生のところに行くわ」「よし分かった」の会話でスカウト活動は終了した。患者さん中心の内科医の協力無しでは満足できる整形外科医療は出来ないとの信念を持っていたので、逆に私が仲間に加えていただくようにお願いしたところ、当時の吉田院長にも快諾していただき、平成12年、森田先生に遅れること半年で副院長として迎えていただいた。地域密着型で患者さん中心の整形外科に徹し、子どものスポーツ障害から高齢者の整形外科まで、患者さんに応じた治療を展開して充実した毎日を送らせていただいている。
平成17年に神戸学院大学の教授に併任されたのを機に、加古川時代に研修医育成に協力してもらっていた後輩の久保仁志先生を整形外科医長に迎えることが出来、2人体制で、より密度の高い整形外科医療を展開し、地域医療に貢献すべく活動している。
また、厚生労働省や日本リウマチ財団の、わが国の関節リウマチ患者さんやリウマチ医療の現状とその医療体制整備に関する研究に10年以上にわたって中心メンバーの1人として参加してきた関係から、リハビリテーション科と協力して重度障害リウマチ患者さんの医療とケア体制作りの完成を目指している。
専門 領域 |
整形外科全般 スポーツ整形外科 リウマチ性疾患 サイコリウマトロジー(重度障害リウマチ患者さんの全人的ケア) リハビリテーション |
資格・ 評議員 |
日本整形外科学会専門医、認定スポーツ医 日本リウマチ学会評議員、指導医
日本リウマチ関節外科学会評議員 日本リウマチ財団登録医 日本リハビリテーション医学会認定臨床医 |
| 趣味 |
バスケットボールで病膏肓の域に入っている。
兵庫県バスケットボール協会の常任理事と医事委員会委員長を長年務め、バスケットボール王国兵庫の再建を夢見ている。のじぎく兵庫国体ではバスケットボール国体強化対策委員としても活躍した。自分自身も日本バスケットボール協会公認のコーチ資格を持つとともに、コーチ資格取得のための研修会講師を毎年務めている。神戸学院大学の監督就任1年目で、自分の説くコーチング理論を実践し、リーグ完全優勝を果した。このような関係で、三木市を中心とする東播磨地区や神戸、丹波、但馬などから多くのバスケットボール選手が当院を受診している。 |
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岡田有美副院長 |
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1965年生まれ。大阪府出身。
平成2年神戸大学医学部卒業。神戸大学医学部第二内科に入局。 神戸大学医学部附属病院、高砂市民病院で研修。
その後同第二内科で臨床、研究に従事。 研究は糖尿病、特にインスリン作用に関する研究。
しばらくは家事、子育てと内科医の兼業を続けていたが、平成15年この三木山陽病院に赴任後は元来の働きものの性分が災いして、家庭を顧みずに責任感あふれる仕事ぶりを発揮している。
神戸大学医学部附属病院での研修医時代、当時の病棟医長(現森田病院長)が重症急性虫垂炎で入院。この間研修医の分際で影の病棟医長として一手に仕切り、留守中の第二内科病棟を無事に守り通した。以後"仕切りの岡田"と呼ばれており、それ以来今日まで森田院長は彼女にだけは頭が上がらない。病院長とはそれ以来ずっと交流を続け適宜アドバイスをしていたが(!?)、平成15年ついに自ら三木山陽病院に乗り込んできて、そして平成18年4月からは副院長に大抜擢され、森田病院長にとっては頼りがいはあるが益々ちょっとこわーい存在となっている。
ご主人は大学の同期生で一緒にハードな研修生活も経験した仲間でもある。現在は神戸市立中央市民病院の消化器内科のエースとして活躍中。長女は見かけかわいい小学4年生、いったんしゃべると内容は大人顔負けの超おませ、これは母親からの遺伝としか考えられない。長男はご主人似のいい子。ちなみに本人は今でもご主人のことを"うちのぼん"と呼んでいる。
弱点は要領が良く頭と体の動きが早すぎるため他の人がついていけないことがある。
| 専門 |
得意は糖尿病をはじめとする生活習慣病、血液透析を含めた腎疾患 老年病 |
| 趣味 |
子育て |
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黒田祥二副院長 |
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1967年生まれ、兵庫県姫路市出身。
平成4年神戸大学医学部卒業。神戸大学医学部第二内科に入局。
神戸大学医学部附属病院、国立加古川病院で研修。
その後同第二内科大学院で糖尿病の研究に従事。本人はずっと消化器病、内視鏡を極めたいという思いがあったが、当時の第二内科先輩(現森田病院長)に相談、分子生物学を活かした最新の研究を一度は経験するべきと強く勧められ、インスリンシグナル伝達に関する研究を行った。その後は神戸大学第二内科の病棟医長補佐として研修医の指導を行ったが、まだまだ指導より自らの医療レベルを高めることをめざし、石川島播磨重工業病院で消化器内視鏡を数多く経験し、平成13年から三木山陽病院に参加している。消化器部門の責任者として内視鏡技術の強化とともに上部、下部内視鏡件数を飛躍的に増加させた。しかし消化器の専門バカになることを最も嫌い、内科全般にわたっての知識、技量が非常に豊富で妥協することなく昔の師匠と対等に議論し、病院の医療レベルアップの牽引車となっている。
弱点は字が達筆すぎて読めない、本人も読めているかどうか怪しいが読みにくいことを認めようとしない。
| 専門 |
何でも診れる 得意は消化器病、糖尿病をはじめとする生活習慣病、老年病 |
| 趣味 |
読書 |
| 認定医 |
日本内科学会認定内科医、総合内科専門医 日本糖尿病学会専門医、教育指導医 日本消化器病学会専門医 日本消化器内視鏡学会専門医 |
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久保仁志医長 |
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大阪府出身
昭和59年徳島大学医学部卒業。神戸大学医学部整形外科に入局。
神戸大学医学部付属病院、市立西脇病院、県立柏原病院、神戸労災病院、高砂市民病院をレジデント研修として一年ずつ勤務。レジデント卒業後、私立吉川病院を経て、国立加古川病院で約7年半勤務(西林副院長と出会ったのは、この病院でした。)。この間、西林先生の厳しい修行(?)に耐え、その後、医療法人明和病院に約3年、医療法人北都病院に1年、神戸徳洲会病院に4年勤務後、平成17年6月より三木山陽病院に勤務しております。勤務病院の数が多いので、転勤のたびに、履歴書の勤務先の欄にそれぞれの病院名と赴任年月日を書くのが大変でした。
吉川病院勤務時代(平成元年頃)には、志染町東自由が丘に1年間住んでおり、こちらに赴任してきた際には、懐かしく思いました(その頃は、現在のように緑が丘に抜ける道路はなく、少々不便な感じがしておりました。)。
森田院長、黒田医長とは、国立加古川病院で、同時期に勤務した縁があり(森田院長とは1〜2ヶ月?あの頃、もう少し痩せておられたような。黒田医長とは約2年間、同じ官舎仲間でした。)、これも不思議な感じがしております。
| 専門 |
整形外科一般としておいてください。
最も長く勤務した国立加古川病院が関節リウマチの専門病院だったので、これまで、リウマチの患者さんを診る機会は多かったと思います。 |
| 趣味 |
オーディオ。ラックスマンのアンプ、タンノイのスピーカー。それぞれの会社の最も廉価な(!)製品を使っています。
パソコンの組み立て。うちの息子は幼稚園の頃まで、「お父さんはコンピューター屋さん」と思っていたようです。
あと、スポーツは見るのも、するのも好きですが、年をとったせいか、「する」ほうは、思うように体が動かなくなりました。ちなみに、中学、高校時代はバレーボール、大学時代は少林寺拳法をやっておりました。今は、息子が小学生時代にお世話になった少年野球のチームで、時々、球拾いをやっております。 |
| 認定医 |
日本整形外科学会専門医 日本リハビリテーション学会認定臨床医 日本リウマチ財団登録医 |
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藤井郁三医長 |
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1967年大阪府大阪市出身。
平成6年関西医科大学医学部卒業。関西医科大学放射線科に入局、現在は神戸大学医学部第二内科に所属。
岸和田市民病院、藤枝市民病院で5年間に放射線科全般にわたる技術を習得。
平成11年春、どうしても患者さんと直接関わりながらの医療がやりたいと思い立ち、突然神戸大学第二内科に押しかけた。この時出会った第二内科医局長が現在の森田病院長であり、めでたく神戸大学医学部第二内科に入局となった。そして森田先生自らから"内科の考え方を教えてやろう"と直接内科臨床の手ほどきを受けた。しかしたった3ヵ月で山陽病院へ移られたため後を追って山陽病院へやってきた。それからは森田病院長とともにずっと時間を惜しんで仕事に没頭、内科医と放射線科医の両方で活躍している。二人は血液透析のためのシャント造設術やシャントトラブルに対するPTA、さらには腹部や下肢の血管造影と併せて経皮経カテーテル的動脈塞栓術や血管形成術と病院の仕事範囲を大きく拡充させ絶妙のコンビで多数の手術、血管造影を行っている。
弱点は患者さんに優しすぎること。
| 専門 |
内科全般、血管造影とIVR |
| 趣味 |
映画鑑賞、下手なゴルフ |
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酒匂丈裕医長 |
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1972年大阪府大阪市出身。
平成10年奈良県立医科大学卒業。大阪大学医学部眼科学教室に入局、大阪労災病院眼科に勤務となりました。
大阪労災病院では眼科全般の研修、特に白内障や網膜硝子体疾患の治療について勉強させていただきました。
このたび縁あって、吉田理事長ならびに森田院長とお話をさせていただく機会を得て、「当院の地域医療へのさらなる貢献のために、是非とも眼科を開設したい」との熱い想いに心打たれ、平成18年9月より当院に着任いたしました。
当院眼科は現在医師2名、スタッフ4名(ORT1名、眼科コメディカル1名)の体制で丁寧な検査・診察と分かりやすい説明、適切な治療を提供することを心がけております。蛍光眼底造影検査、超音波検査、角膜内皮細胞検査、視野検査などの検査機器を備えておりますので、糖尿病網膜症などの眼底疾患や緑内障の進行度チェックならびにレーザー治療や、白内障の入院・日帰り手術にも対応しております。 目の病気・症状で困ったことがございましたら、是非一度ご相談にいらしてください。
| 専門 |
眼科全般 |
| 趣味 |
ゴルフ |
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日本眼科学会専門医 |
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岡本安生医長 |
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1972年生まれ、加古川市出身
平成10年神戸大学医学部卒業後、神戸大学第二内科に入局
神戸大学医学部附属病院、須磨赤十字病院で研修。その後第二内科大学院にて糖尿病の最先端の研究に専念するかたわら、週2日だけ当院の診療に従事し、病棟、外来、救急にと大活躍の日々であった。研究も臨床も大きく極めたいという希望はあったが両立は困難であり、最終的に臨床の道を歩むことを決断した。糖尿病のみならず消化器を含め内科全般にわたっての診療を行うべきという強い信念から、神戸大学医学部大学院を卒業して博士号を取得後、たくさんの候補病院の中からこの三木山陽病院を自ら強く希望し、とうとう平成19年4月より仲間入りを果たすことになった。
森田院長とは他のスタッフと同様やはり強く関わっている。大学の卒業を前にして最も大事な進路の決定において、第二内科と別の内科とで大いに迷い、やっと決めた(第二内科でない)その日にそれを聞きつけた当時の第二内科医局長の現森田院長が夜遅くにアパートまでやって来て、3時間も粘られ、つい”お世話になります“と言ってしまってから早10年が経とうとしている。
森田院長から一言 最も印象に残る入局勧誘の人です。非常に優秀でしかも勉強家ですから、これまでの10年はほとんど壁も無く、余裕で自分の前にある仕事をやって来られたように思います。しかし彼を高く評価し強く勧誘した私としてはこのままでは不満足です。彼も恐らく不満足と感じていると思います。ここからが勝負です。これまではみんなと同じことを人より早く、簡単にやっただけです。これからは今まで経験していない、限りない自分の力を知る努力をするべきです。限界が見えるまでもっともっと高い目標を設定して、みんなより優れた力があることをどんどん見せて欲しいと思います。
近い将来三木山陽病院で大活躍している彼の姿をご期待ください。
| 専門 |
何でも診れる。患者さんにきちんと説明をすることができる。 消化器や糖尿病をはじめとする生活習慣病は得意分野。 |
| 趣味 |
読書、ゴルフ |
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三宅一彰医長 |
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1969年生まれ。和歌山市出身
平成6年神戸大学医学部卒業。学生時代はバスケットボール部。西林先生に学ぶ。 神戸大学医学部第二内科に入局 神戸大学医学部附属病院研修。森田先生ほか第二内科の諸先生に学ぶ。 研修2〜3年目は愛仁会高槻病院勤務。坂谷先生(56卒)に学ぶ。 その後、神戸大学大学院で春日教授・小川先生のもと糖尿病インスリンシグナルの研究に従事。
平成14年学位取得後、神戸大学病院糖尿病内科大原毅病棟医長(当時)のもとで糖尿病診療に携わる。
並行して糖尿病遺伝学研究(ミレニアムプロジェクト)にも関わり、平成16年〜平成18年シカゴ大学ベル教授のもとに留学。
帰国後、再びミレニアムプロジェクトに従事し、平成20年にその集大成の成果を国立国際医療センター安田先生らと発表。
研究面での自身の役目を終えたと(勝手に満足しながら)考え、優秀な一般内科医を目指して再スタートするために三木山陽病院を希望し、
平成21年4月に仲間入りを果たす。ここで学びます。
| 専門 |
内科全般 とりあえずの専門は糖尿病。今後は消化器も専門にしていきたい。 |
| 趣味 |
車、サッカー観戦(もっぱらテレビで) |
| 認定医 |
日本内科学会認定内科医、日本糖尿病学会専門医 |
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